059.「人が『死別』と直面するとき」-その1
最近小学1年生の娘が「はなちゃんのみそ汁」という絵本を熱心に読んでいました。その後、広末涼子さん主演の同タイトルの映画も家族みんなで観ました。はなちゃんは5歳の女の子。お母さんは乳がんが全身に転移して死期が近づいていました。
お母さんは「だし」からとる味噌汁の作り方をまだ幼いはなちゃんに教えます。それは「食べることは生きることの原点」という考えの故(ゆえ)でした。それだけでなく、洗濯や掃除、身支度など、生活のあらゆる「しつけ」を厳しく教えていくのです。周囲からは「小さな子供にそこまでさせなくても良いのでは?」との批判も受けました。しかしお母さんはその決心を貫き通し、お母さんが亡くなった後もはなちゃんはお母さんの教えを忠実に守り毎朝早起きをして味噌汁を作り続けるのです。
私はいつもとは違い、患者さんや患者さんの家族の視点で、普通の生活の中で肉親との『死別』に直面する親の気持ち、子供の気持ち、夫婦の気持ちを考えました。死を覚悟した時に人は何を思い、どの様に心と体が反応するのか?また残された家族はどう立ち直れば良いのか?
科学的・医学的に見れば、『人間にとって寿命とは何か(本川達夫:著)』にも書かれているように、元々地球上の生き物は永遠に生きられない体の仕組みになっているのです。体の細胞は常に入れ替わっていて、以前の私と今の私は実は違う物質でできています。その私の体を日々作っているのはタンパク質など食事から摂られる物質なのですが、地球上の生き物は自分の体を作り替え修理し続けて永遠に生きることを選択せずに、子供を作ることで新たな体に生まれ変わりやがて自身は死ぬという方法を選択したのです。
これは周囲の環境が過酷に変化したとしても新たな環境に適応し種として生き残るために編み出された巧妙なサバイバル法です。それが科学的な「生と死」の見方なのです。しかし科学的に生と死が避けられない宿命だとわかっても、実際自分の死や家族・友人の死を簡単に受け入れられないのが人情です。中にはその恐怖や喪失感から心や体の病気になってしまう人もあります。西洋医学はこれまで体という物質を扱うことは得意でしたが「心の問題」に関してはまだまだ発達途上です。次号では死別に直面した人にどのようにアプローチして行くかの最近の取り組みをご紹介します。
(「くすぐる診療所」2017年2月号より改訂)