086.「『看護婦』はどのように生まれたのか?」
今年の東京大学入学式の祝辞が話題になりました。
祝辞を贈られたのはジェンダー研究・女性学のパイオニア上野千鶴子名誉教授です。その言葉の中で昨年発覚した東京医科大学での女子や浪人生を差別した不正入試問題が取り上げられました。
日本では子供の時から既に女性差別や不公平な現実が存在し、頑張る前から「しょせんお前なんか」「どうせ私なんて」と頑張る意欲をくじかかれる人が大勢います。過酷な受験競争に勝ち残った恵まれた東大生も自分一人の力で勝ち残ったのでは無く、周囲の大人達が良い環境を整えてくれたお陰で勝ち残れたのです。そのためこれからの勉強では、弱い者や異なる価値観を尊重し合える新しい社会を作り出すメタ知識(新たな知を生み出す知)を身につけて欲しいと新入生にエールが送られたのです。
私たち医療現場で働くスタッフは大半が女性です。医療現場で女性が多いのはひとえに看護師がほとんど女性だからです。そして看護師は医療職の中で最も人数の多い職種です。「看護婦さん」と言えばワンピースの白衣にナースキャップという「白衣の天使」のイメージがありますが、現在では「看護師」さんと呼び、ナース帽は着けなくなり、より動きやすいパンツスタイルに主流が変わっています。
これまでの看護婦像の原点は看護教育の母「フローレンス・ナイチンゲール」女史と言えるでしょう。ナイチンゲールは今から約200年前のイギリスの裕福な貴族の家庭に生まれました。当時の看護婦は身分の低い女性が生活の為に就く女中の様な職業と見なされていました。しかしナイチンゲールは周囲の反対を押し切って看護婦となり、ロシアと激しく戦うクリミア戦争の不衛生な兵舎病院で昼夜をいとわず献身的に負傷兵の看護を行ったのです。しかしナイチンゲールは献身的な看護を行っただけではありません。
コッホが顕微鏡で「細菌」を発見する前の当時はまだ細菌感染症という概念も抗生物質もありませんでした。その中で衛生環境の改善が病気を減らすという先見の明を持ち、不衛生な兵舎病院の問題点を洗い出してまず便所掃除を行う事から衛生状態の改善に取り組みました。医師や陸軍幹部の中にはナイチンゲールの活動を妨害する者もありましたが彼女は自らの私財を投げ打って果敢にチャレンジしたのでした。時のイギリス・ヴィクトリア女王に統計学の手法を使ったグラフを示して現状の理解を得ることで衛生委員会の立ち上げを行い、42%もあった病院の死亡率を5%にまで改善したのでした。
彼女は帰国後も政府関係者との交渉を行い看護学校の創設に尽力しました。また「看護覚え書き」を始め多くの著作を残していて、この中では換気窓や採光、隔離室など衛生面に配慮した近代的な病院建築の設計まで行っています。このような彼女のパイオニア的業績がのちに看護婦を自立した女性の専門職としての地位に押し上げたのです。しかしこの「白衣の天使」のイメージをまとわれた看護師は常に自分の感情を押し殺し「天使」でいる事が期待される為、多くの看護師は非常に大きなジレンマやストレスを抱えているのです。次回は更に看護師の心の深層を探って行きたいと思います。