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132.『東京都同情塔』と医療のAI活用

 今年2024年のお正月は能登半島地震と共に明けた感があります。誰しもが「お正月に大地震・大津波だなんてひどい災難だ!」とやり場のない怒りを感じたことと思います。その後しばらくは日本中がばたばたと慌ただしく揺れ動きましたが、私がようやく日常に戻れた様に感じたニュースが1月17日に発表された文学賞の170回芥川賞・直木賞発表のニュースでした。

 芥川賞は新人作家の登竜門として有名で、優れた中・短編小説に対して1年に2回与えられます。今回は九段理江(33歳)さんの『東京都同情塔』という中編小説が選ばれました。普段は流行りの小説を読まない私なのですが、ニュースで会見を見て作者が「AIを活用して発想し、書きました。」と話しているのに興味がわいたため読んでみることにしました。

 皆さんは忘れておられるかもしれませんが、2020年の東京オリンピック招致の際には、新宿の明治神宮外苑に建設される予定のメインスタジアム・新国立競技場として、初めはイラク出身の女性建築家ザハ・ハディドさんのデザイン案~流線形の美しい近未来的なスタジアムに決まっていました。それも含めてオリンピック委員会が「東京」での開催を決定したのです。

 しかしその後、建設費が高すぎるとの批判が大きくなり、当時の安倍首相が白紙撤回を表明して結局「ザハ案」は幻となりました。代わりに国産の木をふんだんに使った現在の隈研吾(くま・けんご)さんのデザインに変更されたのでした。

 しかし『東京都同情塔』では幻のこのザハ・ハディドの流線形の美しい新国立競技場が実際に建てられた虚構の世界が登場し、千駄ヶ谷駅を挟んでその北隣りの新宿御苑に、競技場に対をなすように新たなタワー建設=中は刑務所ですが「社会的弱者である受刑者への同情のため」として最高の住み心地が提供される高級タワー『東京都同情塔』を設計する女性建築家:牧名沙羅マキナ・サラが主人公として登場します。

 しかし主人公は、行き過ぎた平等主義やAI(人工知能)により「言葉が軽薄」になって行くことに対して疑念を抱いており、タワーが偽善的な「平和の象徴」であることや、「シンパシータワートーキョー」などと新しい物の名前が何でも響きを良くするためなのかカタカナが多用されることにも拒否感を持っていて、『東京都同情塔』という韻を踏んだ日本語名に固執するという人間臭さを持ち合わせています。

 そしてこの歪(ゆが)んだ理想に基づいたとも考えられるタワーを設計するのは、それでも自分でないといけないという強い「欲望」との板挟みになります。刑務所であるタワー内のみが最高の安楽の地「ユートピア」であり、周囲の現実の世界は「ディストピア(不幸や抑圧が支配する世界)」であるという矛盾した世界観が、インターネットSNSのグループの中だけに安心を感じ、現実社会は不安が支配する先の見えない現在の日本を上手く表現しています。

 さて、現在医療の分野でもAI(人工知能)=つまり「学習能力を持つコンピューター」を使って様々な病気の診断や発見をする方法が開発されてきています。レントゲンで肺がんを発見したり、内視鏡でポリープを見つけたり、見たこともない様なめずらしい病気を見事にAIが診断したりと、AIが医療分野でも急速に使われ始めています。

 近い将来には少子高齢化による人口減少やどんどん増大する医療福祉費への対策として、医療のDX化(=ロボットやAI、コンピューターを積極的に取り入れて業務の効率化を計ること)が進行してロボットによる介護やAIによる病気の診断治療がされるような世の中になると見込まれています。

 私も医療のDX化によって、医療費が抑えられたり、診断や治療が進歩することには賛成なのですが、人と人との支えあいという医療の温かみ・思いやりの気持ちなどが失われて行くことには抵抗があります。人の幸せの中には、人と人とのコミュニケーションによるつながりは必須だと考えるからです。

 時によって人間関係はストレスや争いの原因にもなりますが、逆に元気づけられたり、幸福感を感じる源(みなもと)にもなることは、皆さんもご承知の通りです。AIやロボット、コンピューターを上手に活用することで、今の人間の限界を超えて行ける可能性があることや、それらでは得られないむしろ人間に特有の「偶然」や「逸脱」=「エラー」という悪くとらえられがちな部分こそが、実は最も人間らしい「創造性」を生み出す部分だということを、『東京都同情塔』の作者の九段理江さんがインタビューで語っておられたのが非常に印象的でした。


「くすぐる診療所」 (2024/2/20) No.132. 2024年3月号掲載

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