051.「曖昧(あいまい)な言葉」の話
今回は医学の世界から少し外に飛び出し、「言語学」の視点で見てみましょう。
外来の診察をしていると、次の様なやり取りをすることがあります。(患者さん)「先生、私よく『貧血』になるのですが大丈夫でしょうか?」 (ドクター)「いえ、血液検査で『貧血』はありませんよ!」
この「貧血」という良く知られた医学の専門用語も実は一般の方のとらえ方と、医療者が使う専門的な意味合いは異なっています。先の例の様に一般的に「貧血」という言葉は「立っているとめまいや立ちくらみがする」という意味で使う人が多いのですが、医学的には「血の中の赤血球が少なくなり、酸素を運ぶヘモグロビンが減少した状態」を意味します。
先ほどの会話をこの意味で翻訳してみると、「先生私よく立っているとめまいや立ちくらみを起こすのですが大丈夫でしょうか?」 「いえ、血液検査でヘモグロビンの値は低下していませんよ!」 となります。2人の会話がかみ合っていない事がおわかりでしょうか?
しかしこれは2人のどちらが悪いという問題ではありません。「言葉」のとらえ方というのはそもそも曖昧だからです。言葉の曖昧性は「近代言語学の父」と呼ばれる20世紀初頭のスイスの言語学者ソシュールが指摘しました。言語学ではこれを「言葉の恣意性(しいせい)」という難しい言い方をしますが、例えば「虹」という言葉が意味する事を考えると、虹の色は何色でしょうか? あなたは「7色」と答えるでしょう。でも「その7つの色は?」と聞かれると正確に答えられる人はかなり少ないでしょう。また実際に虹を見て本当に7色に見えますか? 一度実際に虹を見て色を数えてみてください。すると人によって見える色の数が違っていることがわかるでしょう。
実は昔の日本では虹の色は5色とされていました。また英語では虹の色は6色、フランス語やドイツ語では5色、少ない例では南アジアのバイガ族やアフリカのバサ語族、昔の沖縄などでは虹の色は2色と表現されています。つまり同じ物を指す言葉でもその意味は民族や言語によって違いがあり、突き詰めればその人の住む地域、性別、年代、職業、趣味、性格などによって、同じ言葉でも意味合いは少しずつ違ってくるのです。
「医学の専門用語」は医療者や科学者などの間のいわば特殊な言葉なので、一般の方が専門用語を違う意味で使うことは不思議ではないのです。下のような川柳も患者さんと医療者の言葉のとらえ方を笑い飛ばしています。
「ほんとかな 座薬を座って 飲んだって?」
次回はまた別のあいまいな医学用語「めまい」について、医学的にお話しします。
(「くすぐる診療所」2016年6月号より改訂)